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やまねむ
 山眠る
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 山は 凍えている

 凍りついている

 まるで 時の流れから

 取り残されたように



 けれど 目には見えないところから

 わずかずつ 変化は始まっている

 備えているのだ 

 やがてくる季節に 芽を吹くために 

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 兵頭は、嶺次郎がそうであるように高耶もまた革命家であると考えていた。
 真の革命家というものは、自分の思想が他人を否応なく巻き込むことに自覚的だ。彼は、長らくその能力を封印してきた。
 しかし、力は開放された。結果、為されたものは、およそ兵頭の思う革命とはかけ離れたものではあったけれど、高耶自身としてはその実力をやっと発揮できるようになったのだ。喜ばしいことではないか。
 そう、思うのに。
 兵頭の表情は、決して晴れやかではない。


「いつまで、こんなところにおるつもりですか」
 開口一番、そう言った。
「兵頭」
 紙衣を纏い、壇上から降りてきた高耶が、驚いてこちらをみる。
「こんなところにいていいのか」
 兵頭は、久しぶりに剣山までやってきていた。
 高耶の耳には既に、兵頭へ外地赴任の命が下ったことが伝わっていたようだ。
 出発日時はまだ未定だが、正直引継ぎやら何やらで剣山などにいる場合では無い。
 だか、兵頭にはどうしてもやらねばいけないことがあった。
「発つ前に、確認しておきたいことがあります」
「……何だ」
 高耶の赤い両眼がこちらを向く。
 もちろん遮毒コンタクトをしているから、兵頭が血を吐くことも無い。
「さっきも言いました。いつまでこんな場所に篭っちょるつもりなんですか」
「……《裏四国》が安定するまで、だ」
「それは一体いつのことです」
「もうすぐだ」
「もうすぐ?随分曖昧ですね」
「……………」
 最近の高耶はいつもこうだ。何かあるとすぐに黙り込んでしまう。昔のような、歯切れのいい言葉を久しく聞いていない。
 兵頭は話題を変えた。
「橘はどこです」
 決定的な一言を放ったつもりだったのに、高耶は表情ひとつ変えることもなく、しばらく黙った後で小さく口を開いただけだった。
「……少し冷える。部屋に入ろう」
 自分の肩をさするような動作をした後で、ゆっくりと歩き出す。
 仕方なく、兵頭も後に続いた。


 裏四国成立後、高耶は剣山から出ようとはしなかった。
 最初のうちは体力の回復を図るため、その後は《裏四国》を安定させる修法を施すため、という名目である。
 そして、橘義明もまた、神官として結界の安定修法に関わっていると隊内には通達されている。
 が、実際のところ、嶺次郎から橘に対する復帰許可が下りていないのだと、兵頭は聞いていた。
 嶺次郎は大転換直前の橘の行為をうやむやにはしなかった。もし橘に叛意があるというのなら、見逃すわけにはいかない。けれど言葉が戻らないから、尋問も出来ない。結果、軟禁状態となっているのだ。
 しかし、その軟禁場所が問題だ。
 どこか収容設備のあるアジトでいいはずなのだ。
 高耶と共にここにいる理由はない。
『兵頭さん!』
 お疲れ様でした、と高耶を迎えた卯太郎は、思わぬ珍客に驚いた。
『今、お茶をいれますき───
「いや、いいんだ、卯太郎。しばらくふたりきりにしてくれ」
 高耶がそういうと、卯太郎ははい、と素直に引き下がった。
 部屋の隅で丸くなっている小太郎は、寝ているのか振りなのか、全く動く気配がない。
 すぐにまた、沈黙が部屋を支配してしまうから、兵頭はもう一度同じ話題を口にした。
「橘は、言葉を失うたと聞いちょります」
 あの日以来、兵頭は橘の姿すら見ていない。まあ、見たくも無い、というのが本音だが。
「祝詞も真言も唱えられずにどうやって修法など行うんです?」
「耳が聞こえない訳じゃないんだ。指示は出せるからちゃんとサポートは出来る」
「つまり身体は復調しちょるということですか。ならば嘉田に言って、さっさと山から下ろすべきではありませんか」
 兵頭は今日、この事を進言するためにやってきたのだ。 
「ただでさえ大転換で人が減ったというのに、外地組に人員を割かれ、下は全く人手の足りん状況です。隊長もご存知でしょう。喋れなくとも出来る仕事は山ほどある」
 もちろん新たな新入隊士は増え続けている。しかし入ってすぐは使いものにならない。今は新人教育も満足に行き届いていない状態だ。
 魂枷をし、監視付きでだっていいのだ。橘ならば並の隊士以上の働きをするだろう。兵頭はあの男の能力を認めていない訳ではない。逆に、使わずに置く位なら、さっさと放逐なり処刑なりしてしまえばいいと思っている。中途半端な今の状態の方が逆に危険だ。
 が、高耶の答えは簡潔だった。 
「あの男のことは嶺次郎からオレに一任されている。口を出されたくない」
 ぴしゃりと言われて、兵頭は思わず高耶を睨み返した。
(酷い眼じゃ……)
 あの男の事を語る時、高耶の眼は革命家のそれではない。
 私欲にまみれた人間の眼だ。
 これが高耶のまずいところだ、と兵頭は思う。
 今はそんな眼をしている時ではないはずだ。
 ここに橘がいる限り、高耶はいつまで経ってもここを出られないような予感が兵頭にはあった。
 逆に言うと、橘をさっさと下山させてしまえば、高耶もここにいる必要がなくなるのではないか。
「草間さんがおらんようになり、嘉田はかなり追い詰められちょります。支えられるのはおんししかおらん」
「………兵頭」
「今がたぶん、赤鯨衆としての踏ん張りどころなんでしょう。隊長は皆をまとめ、引っ張ってやって下さい」
 それを聞いた高耶は即座に首を振った。
「そんなこと、オレには出来ない」
「しかし」
「する資格もない……」
 兵頭は驚いた。
 高耶は、みたことのないような表情をしていた。
 あまりにも暗いその瞳は、覗き込むのが怖いほどだった。
「《裏四国》のこと、後悔しちょるんですか」
「そうじゃない」
「なら何故こんなところに閉じ篭るような真似をしちょるんですか。おんしが卑屈になっても何にもならん。それとも、橘のために自分を犠牲にするつもりですか?」
「……………」
 高耶は何も言わなかった。
「忘れんでください。おんしを必要としている者は橘だけではない。他にもごまんとおるんです」


 結局高耶の心を覆せぬまま、兵頭は山を後にした。
 自分が言っても無駄だと、心のどこかでわかっていた気はする。
 しかし、内に篭っても何もいいことなどないのだ。それを誰かが言ってやらなければならない。
 もちろんそんなことで精神が腐ってしまうような男ではないと信じてはいるが。
 後ろ髪を引かれるように、兵頭はもう一度だけ背後を仰ぎ見ると、空に浮かぶ金色の輪をしばらくの間見つめていた。
 剣山頂上には護摩壇があり、少し下ったところに以前は宿泊客などが利用していた山小屋がある。
 とはいえ小屋というにはあまりに立派な施設で、食堂や展望テラス、果ては別館まであり、充分すぎる設備が整っていた。
 しかし、そこから更に下った山中に、それこそ文字通りの山小屋が、ぽつんと建っていた。
 中川は今、そのコテージから出てきたところだった。
「何やってる」
 すっかり気を抜いていたところへ鋭く声をかけられ、ビクっと身体を揺らしてしまう。
「仰木さん」
「ここへは来るなと言ったはずだ」
「兵頭さんに会いましたか」
「オレが訊いてるんだ」
 本気の怒りを滲ませる高耶を、中川はため息交じりで見つめた。
「兵頭さんに言われたんです。あなたを診るようにと。どうしてもあなたが心配なようですよ。身体ではなく、心のほうを診てやれと言われました。専門外だと言ったんですけどね」
「なら、なぜ一緒に上へ来なかった?」
「……………」
 それは、このコテージへ来ると高耶が怒ることがわかっていたからだ。だから兵頭が高耶を訪ねている隙を狙ってここへやってきたのだ。
「実は、私はあなたの心配はあまりしていないんです。あなたは順調に回復しているからいい」
 昏睡状態にあった頃は日々緊張を強いられたが、眼を覚ましてからの高耶の回復は早かった。もともとこの山との相性がいいのだろう。今は全快状態と言っていい。
 中川が今日ここへ来たのは、別の心配があったからだ。
「問題は橘さんです」
 中川は高耶の鋭い眼に負けないように、拳をぎゅっと握った。
「いつまでこんな風に閉じ込めておくつもりですか」
「……………」
 高耶は黙り込んだまま睨み付けてくる。
「あなたもわかっちょるはずです。今の橘さんは失語症の問題以上に、身体の方が相当悪い」
 高耶の毒に当たっているせいなのは明らかだ。
 こんなところにふたりきりでいたら、いくら蠱毒薬を飲んだところで足りるものではない。
「橘さんが言葉を無くした理由を考えてみてください。ふたりきりでいたところで何の解決にもならんと思いませんか」
 大転換の際、二人の間にどんないきさつがあったかはしらない。けれど橘の失語が精神的なものであることは、検査の結果判明している。ならば、原因は高耶とのことであるに違いない。
「橘さんとは少し距離を置いて、ちゃんとした治療を受けさせてみてはどうです」
 高耶の表情は変わらない。
「聞き飽きたって顔、しちょりますね」
 そう、会う度に中川は橘の治療を勧めている。高耶が了承する訳がないとわかりながら、いつも同じことしか言えない中川は自分が歯がゆい。
「安心してください」
 仕方なく笑顔を浮かべた。
「どうやら私も近いうちに兵頭さんと一緒に外地へ行くことになりそうです。これで、天下の今空海に小言を言う人間もいのうなる」
 その話は高耶も初耳だったようだ。驚いた顔でこちらを見た。
「食事をふたり分、持ってきたんです。たまには栄養のあるもんでも食べて下さい」
 そう言って、返事も聞かずに中川は歩き出した。
「中川」
 高耶が中川を呼び止める。
「ありがとう」
「仰木さん」
 中川は、本当に久しぶりに高耶の笑顔をみた。
「外地ではここ(四国)の様にはいかない。くれぐれも気をつけてな」
 高耶はそれだけ言うと、コテージへと向かって歩き始めた。
 高耶は、コテージに近づくに連れ、暗く沈んでいく自分の心を感じていた。
 確かにここへ来たところで、待っているのは自分をひたすらに責め続ける男だけだ。
 それは糾弾という意味だけではない。直江の失意はそれだけで高耶へと重くのしかかる。直江の涙はまるで硫酸のように、高耶の心に沁みこみ火傷をおわせる。
 それでも高耶は、時間の許す限りここにいるようにしていた。自分はまるで中毒患者のようだと思った。
 扉を開けて中へ入ると、室内は外と同じくらいに寒かった。
 このコテージは小さい。入ってすぐのダイニングルームと、小さなバスルームに寝室があるだけだ。
 そのダイニングルームの机の上には、中川が用意した食事と、メモ用紙にサインペンが転がっていた。中川が直江と筆談を試みたらしい。手にとってみると、メモ用紙は白紙のままだった。
 大転換直後、直江が中川と連絡を取ったときは思念派だったそうだ。高耶が意識を失っている間もずっと呼びかけていてくれたように思う。
 しかし、高耶が目覚めた時、直江は全く言葉を扱えない状態になっていた。こちらの言うことは理解できるのだが、直江自身はまったく言葉を生み出せないのだ。
 中川から強く精密検査を受けるように言われ、拒む直江を薬で眠らせて脳の検査だけは受けさせた。あれだけの出来事に巻き込まれてのことだ。例えば頭を打ったとか、何か外傷が影響しているかもしれない。結果、精神的なものだと、わかっただけだったのだが。
 高耶は、逆にこうなってよかったのではないかと思っていた。言葉が感情を助長するということもある。直江の底のみえない失意を言葉にしてしまえば、その言葉の暗さに埋もれて二人ともどうなってしまっていたかわからないとも思う。
 けれど。
───高耶さん………
───愛している………
 今はただ単純に、直江の声が恋しかった。
───俺はあなたを失えない!
 最後に聞いた悲痛な声が耳に蘇る。胸に痛みを感じて眉根を寄せた。
 けれど逃げ出すわけにはいかない。
 高耶は重い心を引き摺って、寝室へと続く扉に手をかけた。


 直江は、外を見つめていた。
 窓が開けっ放しになっている。
 風になびく白いカーテンが、あの山荘を連想させた。
 後姿の直江は、とても痩せて見えた。高耶の毒に当たっているせいだけではなく、食事もまともに摂ろうとしない。
 それでも最初の頃に比べたら、随分と落ち着いた。初めの頃は高耶を自分の視野の外へ出そうとしなかった。会わせるのも中川だけで、高耶は中川を通じてしか外部と連絡を取れなかった。
「直江」
 声をかけたところで、もちろん返事はない。
「……風邪、引くなよ」
 それだけ言ってダイニングへと戻る。
 返事を期待しない言葉しかかけなくなってもう随分が経つ。自分達に限っては、日常生活において会話というものは殆ど必要ないことがわかった。何を思って動いているかは、お互い言わなくてもわかる。
 大きく息を吐いて、食事の前に立った。ベーコンや野菜の入ったスープと、白いパンがトレーの上に乗っている。持っていってみようかと思って、スープをひとくち口にしてみた。まだ温かい。じんわりと身体の中に広がって、まるで中川の気持ちが伝わってくるようだ。
「……………」
 自分のしていることは多分、いつかの直江の行動をただ擦っているだけだ。
 自分は本当に直江に風邪をひかれたくないのか。本当に食事をして欲しいと思っているのか。
 これが本当に直江のためなのか?
 ………けれどきっと、自分にしかできないことがあるはずだ。
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