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やまねむ
 山眠る
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 他の人間たちはどうしているのだろう、と思う。
 自分の中の絶対に譲れない部分で、愛する人間と対立してしまったら。
 どちらかが妥協し、折り合いをつけるのだろうか。ふたりの中間点を探るのだろうか。
 それとも、決別を選ぶのだろうか。
 どれも選ぶことの出来ない自分たちは、結局勝者と敗者という関係でしか、有り得ないのだろうか。
 確かに高耶は勝った。自分の一念を貫いた。
 けれどもう昔とは違う。直江を敗者として縛り付けていた頃とは違う。
 今はただ、そのことがひたすらに悲しいだけだった。

 言葉を紡げない直江は、その眼で高耶を責め続けた。
 人殺し。偽善者。大悪党。
 それは他人に責められる行為とは違って、自分で自分を責めるのに似ていた。
 直江に責められながら、高耶は自分の内で自分を責め、必死に言い訳をする。
 あの時の自分は、これ以上無実の人の血が流れることに黙っていられなかったのだ。
 もう、問題を先延ばしにしたくなかったのだ、と。
(………だから何だっていうんだ)
 そんなもの、言い訳にもならない。結果的に、死なずに済んだはずの人々を殺した。
 想定の犠牲者を守るために、現実の犠牲者を生む。
 そんなもの、悪政以外の何ものでもない。
 けれどあの時の高耶は、本当に心の底から《裏四国》の成立を願ったのだ。
 それだけは真実だと言える。誰がなんと言おうとも、どんなに責めようとも。愛する人の譲れないものを、打ち砕く行為だったとしても。
 後悔はしていない。赦して欲しいとも思わない。
 世界に対する罪も、直江に対してしたことも、すべて自分の身に背負うつもりでいる。

 直江の失意の底にあるものを高耶は想う。
 高耶を失う恐怖。敗北感。取り戻すことのできないあの瞬間への後悔、絶望。
 虚無、痛み、苦しみ、憎しみ。
 色んなものが渦巻く中で、直江はもがき続けていた。
 直江にしてみれば、高耶を喪えないという想いは史上最上の強さでなくてはならなかったはずだ。
 誰よりも何よりも譲れないものだったはずだ。
 その想いこそが、あの萩からずっと、直江をここまで突き動かしてきのだから。
 『最上』も『精殖』も、高耶と直江の何もかもを、喪うなんてことがあってはならない。
 そう想っていた。それなのに。
 その想いは、誰であろう高耶自身に打ち砕かれたのだ。
 愛していると、自分を強く想い続けろと言ったその同じ口で、おまえはオレに勝てないと、高耶は言ったのだ。
 こんな理不尽なことはない。裏切りだと罵られて当然だ。

 けれど直江、別にオレはおまえを苦しめたくてやったんじゃない。
 おまえを悲しませたかった訳じゃない。
 オレはもう迷わないと決めただけだ。
 オレもおまえのように責任を取りたかっただけだ。
 自分の感情に。自分から生まれくるものに。
 自分という人間が誕生し、どうしてここまで生き延びてきたのか。そこに意味があるのかどうか。
 そしておまえには、オレの見ているものをただ知っていて欲しかった。
 傍にいて、解っていて欲しかったんだ。
 オレという人間が何を考え、何に生きているかを。
 誰よりも、おまえに。
───俺からあなたを奪うのものはあなた自身なのか!
 おまえからオレを奪えるやつなんていない。
 オレですらおまえからオレを奪おうとして失敗したのに。
 おまえからオレを奪うものは存在しない。
 だっておまえはそれを、証明してみせるんだろう?

 高耶の唇から小さく息が漏れた。
 こんな理屈を並べたって何も始まらない。
 直江はもしかしたら、こんな簡単な言葉などで片付けられたくないから、言葉を失ったのかもしれないと思った。
 いま直江の中にあるのは紛れも無く、どうしようもない、現実の感情だ。
 虚無、痛み、苦しみ、憎しみ。 
 本当は高耶に出来ることなんてないのかもしれない。
 それでもやはり高耶は、直江から逃げ出すことはできない。
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 気が付くと、すっかり陽が落ちていた。
 いい加減寒くなってきたから窓を閉めようと、高耶が寝室に戻ってみると、真っ暗な中に直江が立っていた。
 その眼の異様さにぎくりとする。
 直江の長い腕がまっすぐに伸びてきて、高耶の首を掴んでそのまま力を入れた。
「ぐっ………!」
 高耶は苦悶の声をあげながら、直江の腕を掴む。
 それでも抵抗らしい抵抗はしなかった。
 まともに呼吸が出来ず、頭に血が上り、だんだん意識が遠のいていく。
「な……お……」
 あまりの苦しさに眼を見開いた瞬間、パッと開放されて高耶は咳き込みながら床に膝をついた。
「ゲホッッ────ゲホッッ……ッ」
 必死で息をしようと這いつくばる。
 そんな高耶を気遣うようすもなく、直江は高耶の下着ごと服を掴んで下ろすと、自分のモノを一気に挿入した。
「アアアアアッ!アアアッ───………!」
 激しく突き上げられながら、高耶はその行為の意味をもう考えない。
 反射的に抗おうとする手足から、必死に力を抜こうとする。
 抵抗したくないからだ。
 今は直江の全てを受け入れたい。
 直江もきっと、何かを受け入れるために苦しんでいるのだから。

 そうだ、直江。
 もっとぶつけてくれ。
 おまえの苦しみ、怒り、悲しみ。
 おまえの全て。
 何もかもを受け止めると決めた。
 この哀しい気持ちも俺たちふたりで生み出したもの。
 オレたちが存在する証。
 だからオレは目を背けたりしない。
 おまえが"想いから生まれるもの"に責任をとるというのなら、オレだって同じだ。
 オレにも責任を取らせてくれ。
 オレから生まれたおまえ。
 その全てに。

 直江は高耶を仰向けにして足を押さえると、更に突き上げる。
「アッ……アアッ……!……なお……え……ッ」
 お互いの熱い吐息を感じながら、瞳を見つめあう。
 そうして揺さぶられていると、いつしか高耶は、自分の内の更なる感情に気付く。


 オ マ エ ノ

 ス ベ テ ハ

 オ レ ノ モ ノ ダ


 ずるり、と腹の奥のほうから黒くて醜いものがせりあがってくる。
 おまえから生み出されるものは全てオレだけのもの。
 その感情もなにもかも。
 言葉なんて他人にも理解できてしまう記号はもう持たなくていいよ。
 オレにだけ解ればいい。伝わればいい。
 苦しみだろうと憎しみだろうと何だっていい。
 虚しさも痛みも苦しみも憎しみも何もかもが欲しい。
 どんなものもすべて、オレのものだ。
 まだまだおまえが欲しい。まだまだおまえが足りない。
 中川の言うとおり言葉を取り戻す方法はあるのかもしれない。
 でも今は直江を手放したくない。
 だって、直江のこの苦悩は、オレへの証に他ならないのだから。
 自分のしていることは自己犠牲でもなんでもなく、ただの直江に対する独占欲であり、獲得欲だ。
 結局オレは、おまえの苦しみが欲しい。
 欲しいだけじゃなく、おまえの苦しみや葛藤や涙や全部、誰の目にも触れさせたくない。
 余すところ無くオレだけにぶつけて欲しい。
 おまえから紡ぎだされる言葉も感情も行動も全部、オレだけのもの。
 どんなときだって、何があっても、いつまででも、どんなにオレが悲しめても、苦しめても、痛みつけても、おまえはいつだってオレとともにあるのだと見せ付けて欲しい。オレから離れることなどできないのだと、それでもまだまだオレが欲しいのだと、苦しんで、悦んで、泣き叫び続けて欲しい。

 直江の感情はそもそも癒される類のものではない。
 誰にも左右されてはならないものだ。
 今こうしていたって決して薄まるものではないし、薄まっていいものではない。
 直江を苦しめているものの正体は、直江の根源そのもので、そこから生み出されるものは時に苦しみであり、時にやさしさであり、直江の感情は全てそこから生み出されなければならない。
 そしてその根源こそが高耶なのだ。
 それが直江にとっての、真実なのだ。

 その事実を思い知らせてくれ、オレに。
 おまえのその根源がどんなにおまえを苦しめてもいやらしくてもずるくても醜くてもおまえは絶対に目を逸らさないのだと、逸らせないのだと、逃げることはできないのだと、オレの身体に刻み込んでくれ。
 俺ももう、逃げたりはしないから。
 おまえの想いを全部、受け止めるから。

 おまえのその苦しみを想う時。
 オレの胸に灯るこの感情。
 これは愛しさと呼べるだろうか。
 ならば、オレは今、おまえの苦悩がいとおしいと思う。
 おまえの、オレたちの四百年が、とてもいとおしいと思う。
 時間の感覚を失う程長い間直江に組み敷かれて、やっと開放された。
 その間何度も意識を失い、殴るようにして起こされた。
 結局ふたりでもつれ合うように眠り込み、目が覚めたとき、直江はまだ隣で眠っていた。
(直江………)
 髪に触れても目を覚ます気配はない。
 当たり前だ。すっかり身体が弱りきっている。
 高耶は喉に渇きを感じて、身体を起こした。
 と、自らの身体に異変を感じた。
「く……っ………!」
 いきなり心臓がバーストしたように急激に動悸が激しくなっていく。
 高耶は痛む胸を押さえながら集中し、《力》を駆使してそれを沈めようとした。
「ハァ……ッ……!」
 直江を起こすまいと、必死に声を抑える。
 息が整わない中での緻密な作業だが、もう慣れっこになっていた。

 実は、高耶の身体は、全快とはとても言えない状態だった。
 これ以上、快くなることはないのだろうという覚悟が高耶にはあった。
 治療法も、進行を遅らせる薬すら無い病。
 心配掛けまいと中川にはなんとか隠し通してきたけれど。
 きっとそのうち、直江は気づく………。

 やっと痛みが収まって、息を吐き出しながら横になった。
 指先が冷たく震える。
 目の前には、眼を閉じた直江の横顔があった。
 寝息はだけは、ひどく安らかだ。
 夢でも見ているのだろうか。
 いったい、何の夢を見ているのだろう。
 過去の夢か。未来の夢か。
 未来の夢だといい。希望に満ちた幸福な、未来の夢がいい。

 これから行く先に待ち受けるものがどんなものでも、オレはずっとおまえのそばにいるから。
 最初から最期まで、ずっとそばにいる。
 いつだっておまえがそうしてくれたように。
 次に立ち上がるときは、必ず一緒だ。歩き出すときだって一緒だ。
 その時、おまえの瞳には何が映っているのだろう。
 おまえはいったい、そのまっすぐな瞳で何を見据えるのだろう?
 これだけの無言の想いを吐き出し続けてそしていつかきっと、また別の感情が生まれてきたら。
 その感情はおまえに苦痛を与えるものだろうか?
 次こそは、苦しみも悲しみも感じないものがいい。
 そもそもオレがおまえに、ひたすらやさしく、満ち足りた気分にさせたことなんてあったんだろうか。
 オレはずっとおまえに見返りを与えることを拒んできたと思っていたけれど、オレの中にはおまえに与えられるもの、見返りと呼べる幸福なものなど最初からなかったのではないだろうか。
 おまえに幸福を。
 そんなことをいつかおまえにしてやれるだろうか。
 そしたらきっとおまえ以上にオレが幸福になってしまう。
 おまえのその幸福も全てオレのものなのだから。
 おまえの幸福とオレの幸福とが合わさって、きっと世界で一番の幸福者になってしまう。

 見つめていた直江の瞳から、するりと一筋の涙が滑り落ちた。
 その涙を拭う様に、手で触れた。
 熱い。
 身体を少しだけ起こすと、腕を伸ばし、直江の頭を抱え込むようにして、その涙に口付けた。

 今だけは。
 自分の罪を忘れさせて欲しい。
 今だけは。
 自分の手の汚さを忘れさせて欲しい。
 今だけだから。
 いずれ自分のしたことへの責任は取る。
 ちゃんと前を見て歩く。
 だから今少しの間だけ、この男とオレに時間をくれ。
 少しでもこの男の幸福がふえるように。
 虚無を軽くしてやりたい。
 悲しみを癒やしてやりたい。

 あと少しだけ、この男を眠らせてやってくれ。
 あと少ししたら、必ず、目を覚ますから。



  □ 終わり □
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