やまねむ
山眠る
オ マ エ ノ
ス ベ テ ハ
オ レ ノ モ ノ ダ
ずるり、と腹の奥のほうから黒くて醜いものがせりあがってくる。
おまえから生み出されるものは全てオレだけのもの。
その感情もなにもかも。
言葉なんて他人にも理解できてしまう記号はもう持たなくていいよ。
オレにだけ解ればいい。伝わればいい。
苦しみだろうと憎しみだろうと何だっていい。
虚しさも痛みも苦しみも憎しみも何もかもが欲しい。
どんなものもすべて、オレのものだ。
まだまだおまえが欲しい。まだまだおまえが足りない。
中川の言うとおり言葉を取り戻す方法はあるのかもしれない。
でも今は直江を手放したくない。
だって、直江のこの苦悩は、オレへの証に他ならないのだから。
自分のしていることは自己犠牲でもなんでもなく、ただの直江に対する独占欲であり、獲得欲だ。
結局オレは、おまえの苦しみが欲しい。
欲しいだけじゃなく、おまえの苦しみや葛藤や涙や全部、誰の目にも触れさせたくない。
余すところ無くオレだけにぶつけて欲しい。
おまえから紡ぎだされる言葉も感情も行動も全部、オレだけのもの。
どんなときだって、何があっても、いつまででも、どんなにオレが悲しめても、苦しめても、痛みつけても、おまえはいつだってオレとともにあるのだと見せ付けて欲しい。オレから離れることなどできないのだと、それでもまだまだオレが欲しいのだと、苦しんで、悦んで、泣き叫び続けて欲しい。
直江の感情はそもそも癒される類のものではない。
誰にも左右されてはならないものだ。
今こうしていたって決して薄まるものではないし、薄まっていいものではない。
直江を苦しめているものの正体は、直江の根源そのもので、そこから生み出されるものは時に苦しみであり、時にやさしさであり、直江の感情は全てそこから生み出されなければならない。
そしてその根源こそが高耶なのだ。
それが直江にとっての、真実なのだ。
その事実を思い知らせてくれ、オレに。
おまえのその根源がどんなにおまえを苦しめてもいやらしくてもずるくても醜くてもおまえは絶対に目を逸らさないのだと、逸らせないのだと、逃げることはできないのだと、オレの身体に刻み込んでくれ。
俺ももう、逃げたりはしないから。
おまえの想いを全部、受け止めるから。
おまえのその苦しみを想う時。
オレの胸に灯るこの感情。
これは愛しさと呼べるだろうか。
ならば、オレは今、おまえの苦悩がいとおしいと思う。
おまえの、オレたちの四百年が、とてもいとおしいと思う。
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